競技ができる環境を守るために。スポーツ界から気候危機に声を上げる特集スタート【Sport for Good #0】

競技ができる環境を守るために。スポーツ界から気候危機に声を上げる特集スタート【Sport for Good #0】

※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「IDEAS FOR GOOD」からの転載記事です。

気温上昇が周知の事実となり「地球沸騰化の時代だ」と叫ばれる今。もはや、気候変動の影響を一切受けない業界などないだろう。

現状に危機感を抱いている業界のひとつが、スポーツ界だ。身の回りの環境に身体を順応させ、最大のパフォーマンスを引き出そうとするアスリートたちは、気温上昇などの変化を敏感に感じているという。

たとえば、2023年8月にブダペストで開催された世界陸上競技選手権大会での調査によると、陸上選手のうち7割以上が「気候変動について非常に懸念している」と回答し、9割が「ワールドアスレティックス(連盟)は持続可能な未来の構築に向けて果たすべき役割がある」と回答した(※)。さらに変化が明確なのは冬のスポーツだ。気温が上昇し雪が降らなくなれば、スキー競技の開催は難しくなるだろう。

そんなスポーツ界が、すでに気候変動への対策を世界各地で力強く進めている。

IDEAS FOR GOODでは「Sport for Good」と題し、世界各地のスポーツ界におけるサステナビリティ推進の動きに迫る特集を企画。初回となる本記事では、スポーツ界における気候変動対策やサステナビリティを世界から日本へ広げるため活動する、Sport For Smile代表の梶川三枝(かじかわ・みえ)さんにお話を伺った。

世界ではスポーツ界からどのような潮流が生まれ、日本ではどれくらい浸透しているのか。スポーツ界だからこそ見える気候変動への危機意識と、市民を巻き込んだ変革の可能性を探っていく。

話者プロフィール:梶川三枝(かじかわ・みえ)

「スポーツの力で社会を変える」日本初のプラットフォーム、Sport For Smile創立者。オハイオ大学大学院スポーツ経営学科留学、NBAデトロイトピストンズ コミュニティ・リレーションズ部にて日本人女性として初めてNBAビジネス部門で採用され、スポーツ経営学修士号取得。2019年にスポーツメンタリングの活動でHEROsアワード受賞、2021年Sport For Smileプラネットリーグを始動、国連とIOCが連携リードする「スポーツ気候行動枠組み」や Sport Positive Summit の日本のフォーカルポイントとして、気候変動問題に関する啓発活動等を実施。BBC Green Sport Awards審査員も務める。

スポーツの力で社会を変える

世界の共通言語・スポーツによる社会変革を日本へ

現在、日本のスポーツ界におけるサステナビリティ推進の第一線で活動されている梶川さん。スポーツの可能性に気付いたきっかけは、1998年の長野オリンピックでのボランティア通訳の経験だったという。

「中学から大学までバスケットボールを続けていた中で、バスケやスポーツを通して社会貢献がしたいと考えるようになりました。長野オリンピックでの通訳経験から『スポーツは誰もが熱狂できる世界の共通言語だ』と実感して、スポーツを通した社会貢献をライフワークにしたいと考え始めました」

そんな思いを胸に、梶川さんはアメリカの大学院へ留学。帰国後、東京2016オリンピック・パラリンピック大会招致委員会勤務を経て、欧米を中心に活動する中で、スポーツの力で社会変革を推進するたくさんの同志との出会いが後押しとなり、2010年にSSR(スポーツの社会的責任)コンサルティング会社を起業すると同時に、Sport For Smileの活動を開始した。国連や世界銀行等とも連携し、障害者や難民、LGBTQなど社会的弱者への偏見をスポーツの力でなくすためのイベントや、DV家庭の子ども達へのスポーツメンタリングなどを実施してきた。

Sport For Smileは「スポーツの力で社会を変える」という理念を掲げる日本初のプラットフォームだ。活動を開始した当初、スポーツによる社会変革のコミュニティはすでに海外にいくつか存在していたという。

「当時、ネルソン・マンデラ氏の『スポーツには世界を変える力がある』という言葉が発端となって欧州からスポーツ社会変革のムーブメントが広がっていました。これが私のライフミッションとも重なり、日本にも同様のコミュニティを作りたいと思い活動を開始しました」

Sport For Smileではメガスポーツイベントにおける啓発活動にも力を入れてきた。2018年にはFIFA公式NGOパートナーから助成を受けて若者支援プロジェクトを実施、また東京2020大会でも公式サイドイベントを実施するなど、まさにスポーツを通した社会の変化を促進しているのだ。

世界のスポーツとサステナビリティの動向について日経フォーラムで説明する梶川さん(写真右)|Image via Sport For Smile

スポーツと環境問題の交わりに触れ、新たな挑戦へ

Sport For Smileの最新の活動が「Sport For Smileプラネットリーグ」だ。2021年から始まった同取り組みは、日本のプロリーグを対象として、各団体が世界の気候変動対策やサステナビリティの潮流に乗り連携するための支援をおこなっている。

なぜ、スポーツを通じたソーシャルインクルージョンに携わっていた梶川さんが、気候変動にも踏み込めたのだろうか。

「正直なところ、環境問題の専門知識もなく、あまり役に立てないと思っていました。でも2014年あるユースサミットで、元アイルランド大統領のメアリー・ロビンソン氏の話を聞いて、気候変動は、自業自得の世界ではなく、自分の行動が地球の反対側の罪のない弱い立場にある人の命さえも脅かすことにもつながる重大な社会問題だということを初めて理解し、自分も何かしなくてはと危機感を抱き始めました。

でも、実際どう行動したらよいか分からなかったのですが、2018年に海外の友人から何度も熱心な誘いを受けて、オランダで開催された国際フォーラムに足を運んでみたところ、世界のスポーツ界主要団体のリーダー達が気候変動対策にすでに本気で取り組んでいる様子を目の当たりにしたのです。これは日本のスポーツ界でも動かなくては、と考えて仕組み作りを始めました」

梶川さん(右から4番目)はSport Positive Summit のオプショナルツアーでウィンブルドンを視察訪問|Image via Sport For Smile

スポーツ界が示す危機感。世界で気候変動対策が進む

スポーツ界から見た自然界の変化と、ファンへの影響力

世界でスポーツ界の気候変動に対する動きを肌で感じてきた梶川さん。世界のスポーツ界は、本気で未来への危機感を持っているという。

「自然に近い場所で実施するスポーツほど、選手を含め気候変動に対する意識が高いです。スキージャンプ選手である高梨沙羅選手も危機感を抱かれていて、温暖化によって雪が降らなくなればスキージャンプが夏のオリンピック競技になるかもしれない、と昨年ご自身で活動を開始されました。

IOCは、2100年までに海に沈むと推定されている国々IOC傘下のNOC(各国オリンピック委員会)の2割を占めることから、気候変動は世界スポーツ界にとって存亡の危機だと認識していて、社内外で抜本的な変革をおこなっています。スポーツ界に限らず日本ではまだそこまでの感覚がないように感じています」

世界での具体的な取り組みの一つが「Sports for Climate Action Framework(スポーツを通じた気候行動枠組み、以下スポーツ気候行動枠組み)」だ。スポーツ組織が選手やファンを巻き込んでパリ協定の目標達成に向けた意識と行動を強化しようと、COP24で制定された。

この枠組みには大きく2つの側面がある。一つはスポーツ界におけるCO2排出量の計測・削減、もう一つはスポーツファンへの影響力を活用して気候変動に対する意識変革と行動変容を起こすことだ。

「こうした枠組みから、国連がスポーツの力に期待していることがよく分かります。スポーツ界には多くのファンがいます。これが、一般企業と違うところです。計測・削減と同じレベルで啓発が重視されていて、レポートでもどんな啓発活動をいつどこでしたかという項目があるくらいです。スポーツ業界は相対的に排出量が多い分野ではないのですが、影響力が強いので、それを行使しないのは社会的責任を果たしていない、と世界では考えられています。

たとえば、弊社クライアント名古屋ダイヤモンドドルフィンズの事例では、全日本代表選手を公共交通機関の利用促進キャンペーンに起用したところ、ファンの8割が翌シーズンはCO2排出量の少ない交通手段でアリーナに行くと回答したという事例もありました」

たしかに、ファンは選手のプレーだけでなく、選手が起用されたポスターやSNSでの発信にも注目しており、少なからず影響を受けているだろう。スポーツ団体の一つのアクションが、何千人、何万人ものファンの意識変革・行動変容につながる可能性があるのだ。

慎重さより大事なのは、まず「声を上げること」

「スポーツ気候行動枠組み」のもと、実践例を世界で共有し、蓄積していこうとする動きもすでに始まっている。この枠組みで設けられた「二酸化炭素排出量を2030年に半減し、2040年に正味排出量をゼロにする」という基準目標に賛同したスポーツ団体は、“Race to Zero”というグローバルキャンペーンに自動的に加盟する。分科会に分かれながらワークショップなども定期的に開催しており、FIFAやFIBA、ワールドアスレティックスやワールドラグビーなど30を超える世界スポーツ連盟、リバプールFCやゴールデンステート・ウォリアーズ等のプロクラブや、ウィンブルドン、ロンドンマラソン、フォーミュラEなど185ほどのスポーツ組織がすでにこの新基準に署名しているのだ。

「2040年までに二酸化炭素排出量実質ゼロ」という目標を、挑戦的だと感じる人も多いだろう。国際的には2050年を目標年に制定することが多い中で、なぜ2040年という目標を設定しているのか。

「10年前倒しになっているのは、ファンへの啓発という影響力を活用し、スポーツの社会的責任を果たすことにコミットしているからです。スポーツ界がほかより先に実践することで、その後ファンの行動が伴い、社会全体として2050年までに目標を達成することを見込んでいる、と国連は説明しています。

でも、200%達成できますと示す必要はありません。達成できなかったからと言って除名されるわけでもなく、コミットすることが重視されています。2030年、2040年にどんな技術が存在するかなんて分かりません。だからまずは、『宣言する』ということに意義があります。スポーツ界のサステナビリティは世界的にも初めての取り組みなので、統一した具体的なアプローチもまだなく、世界スポーツ界も試行錯誤しながら進んでいます。慎重さよりも、勇気が大事、という認識です」

こうしたムーブメントを象徴するかのように、スポーツにおけるサステナビリティを扱うイベントも盛り上がりを見せている。毎年10月には、「スポーツ気候行動枠組み」署名団体総会に併せてSport Positive Summitが開催され、注目を集めている。スポーツ界が気候変動対策を加速させているのだ。

2022年に開催されたSport Positive Summitで通訳および名古屋ダイヤモンドドルフィンズの登壇アレンジを担った梶川さん(写真右)|Image via Sport For Smile

日本のスポーツ界に必要なのは、ファンと共に挑戦すること

気候変動のリスクを肌で感じるスポーツ界は、ファンとの繋がりを通じて社会全体に行動変容を広げようとしている。世界でこうした動きが強まる中で、日本での取り組みはどこまで進んでいるのだろうか。

Race to Zeroに参画する日本のスポーツ団体は3つ。プロのバスケットボールチームである名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、アルバルク東京、そして群馬クレインサンダーズだ。この3団体は国連の基準に則り、すでに二酸化炭素排出量の計測を実践している。

Image via Sport For Smile

この“CO2排出量計測”が日本のスポーツ界でカギになると梶川さんは捉える。日本のスポーツ組織ではフードドライブなど身近なアクションが広くおこなわれている一方、必須であるCO2計測はあまり実施されていない。大企業が親会社であるスポーツクラブでは、企業活動の一部として二酸化炭素排出量が計測されていることもあるが、全体としてはまだ“SDGsブーム”から抜け出せていないという。

「二酸化炭素排出量の計測と削減を実践することの重要性が、日本ではまだ経営力が高い一握りのスポーツ団体にしか理解されていません。現在『スポーツ気候行動枠組み』で必須とされているのはスコープ1と2であり、ファンに関わる排出量の計測も割合の大きさから『強く推奨』されています。多様な形態・規模の組織が足並みを揃えて取り組もうとする枠組みなので、小さな運営組織でも対応できるような基準作りがされています。

実際に計測しているクラブは、『実践することはとてつもなく大変な内容ではない。むしろ、国連のクレジットと社会からの信頼が得られて、世界トップレベルの著名クラブと同じ舞台に立てるなんてチャンスだ』という姿勢です。実際、署名によりセールスなしで協賛を得られたクラブもありますから、とくに影響力のあるトップレベルの団体は、是非取り組んでいただきたいです」

梶川さんは、Sport For Smileプラネットリーグの活動を通じて、まずはマインドセットの変化に働きかけようとしている。大切なのは署名そのものではなく、同じ目標に向けてファンを巻き込みながら挑戦してみることだからだ。

自社の「CO2排出量」を把握することが企業責任になる時代へ

パリオリンピック・パラリンピック競技大会を控えた2024年。スポーツ界におけるサステナビリティの推進が一気に加速するだろう、と梶川さんは考えている。

「これまでの大会比で55%の排出量削減をすでに掲げているパリ2024オリンピック・パラリンピック大会を通して、CO2計測の重要性は再認識されるでしょう。今後は計測もしていないのに大会に出場するなんて、という批判をされるような、モラル的な参加資格を問われる時代になるのではないでしょうか。

また、気候の影響を受けやすいといわれる陸上競技においては、2025年に世界陸上が東京で開催されるにあたって、(主催者であるワールドアスレティックスが署名団体のため)CO2計測が間違いなく必須事項となるので、それまでにいかに『早く』対応できるかが、社会からの信用を賭けた勝負だと思います」

2025年の世界陸上に向けては、梶川さんもよい展開へのきっかけになるのではないかと期待している。

「これからは、自社の売上や経費と同じように、自社の二酸化炭素排出量を把握していることが経営者の資格になっていくと思うんです。この潮流を理解していると、1年前から計測しているか、10年前から計測しているか、という差が将来的に大きな『信用の差』になることも予想できるはずです。何年前から計測しているかという事実は後からいくら巨額を積んでも変えられませんから」

気候変動に対する取り組みを後回しにするほど、活動に対する国際的な評価を将来にわたって失っていくことにつながる。だからこそ、気候変動対策を始めるのは早ければ早いほど良いだろう。

こうした危機感と大きな可能性を共有するため、梶川さんはSport For Smileプラネットリーグの新プロジェクト「エリートプログラム」を通じて、まずは日本スポーツ界トップレベルのプロクラブに集中して気候変動対策サポートを無償提供することで、先進事例の形成に注力していくそうだ。それを模範として、他のクラブにも波及していくことを期待している。

IDEAS FOR GOODでの本特集「Sport for Good」においても、今後「エリートプログラム」参画団体を含め、国内外の先進事例を探求しながらご紹介していく。見る・する・支える・活用するという多様な関わり方を持つ、スポーツ。みなさんの身の回りで実際に行動を変えることができる発見に繋がれば幸いだ。

Three-quarters of athletes directly impacted by climate change, World Athletics survey finds

【参照サイト】Sport For Smile
【参照サイト】スポーツを通じた気候行動枠組み
【参照サイト】スポーツ界、COP24で気候行動枠組みを立ち上げ|国際連合広報センター
【参照サイト】Sport Positive Summit
【参照サイト】脱炭素社会に向けスポーツ界も『気候行動枠組み』、IOC担当者が日本の団体に「できることから取り組みを」|Sustainable Brands Japan
【関連記事】削減貢献量(Avoided Emissions)とは・意味
【関連記事】Race to Zeroとは・意味

 

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