脱炭素に求められる「公正な移行」とは?仕事を失う人々の現状と、世界の事例から考える

脱炭素に求められる「公正な移行」とは?仕事を失う人々の現状と、世界の事例から考える

「“公正な移行”を伴わないネットゼロが、将来の選択肢になることはない」

これは、2022年5月に世界経済フォーラムのサイトに掲載された記事のテーマだ。

気候危機を前にして、日本を含む世界120か国以上で温室効果ガスの「2050年までのネットゼロ(※1)目標」が打ち立てられるなか、より持続可能な産業へと移行していくことが叫ばれている。注目されるのは「いま、環境負荷の高いとされる産業で働く人たちはどうなるのか?」という議論だ。

国際労働機関(ILO)は、脱炭素社会への移行に伴い、2030年までに再生可能エネルギー関連セクターを中心に全世界で2,400万人の雇用が新たに創出される一方、化石エネルギーや公益セクターで600万人の雇用が失われると予測(※2)。日本で働く多くの人にとっても、他人事ではない。

化石燃料を使う

そこで登場したのが、公正な移行(Just transition)の概念である。すべての人を、いかに取り残さずに持続可能な社会での雇用システムに組み込んでいくかを問うこの公正な移行は、2022年7月から8月にかけて開かれた世界経済フォーラム(ダボス会議)でも重要テーマとなった。

環境問題を論じるだけでなく、その影響をすでに受けている人や、新しい経済への移行に伴う「痛み」にも目を向けたい。そう考えたとき、私たちは何から始めたらいいのだろうか。本記事では、脱炭素をめぐる日本の現状や、世界の公正な移行の事例などからそのエッセンスを考えたい。

脱炭素への移行で、取り残される人は誰なのか?

私たちの生活には、膨大なエネルギーがかかっている。快適に過ごすためのエアコンから、毎日の衣類、そして食材を運んでくる工程まで。世界中のどの産業でもエネルギーを使うことに変わりはなく、現状はその多くを化石燃料に頼っている。そこから脱却してクリーンエネルギーの推進などしていくことは、多くの産業に大きな構造的変革をもたらし、関連する仕事や地域にも影響を及ぼす。

冒頭で述べた世界経済フォーラムの記事では、このような記述がある。

「先進国市場が、長期的な気候目標を達成するための資金を確保できる可能性が高いのに対し、新興国の市場では資金不足の課題が依然として大きい。そして、資金源を見つけるのは簡単ではない。新興国での(環境対策のための)増税と借り入れは、最も不利な立場にあるコミュニティの生活をひっ迫させるだろう。また世帯での消費は、平均して年間5%減少し、現在から2060年までの間に、年間約2兆ドルほど貧しくなる(※3)

つまり、先進国と同じ水準では生活できていない人々、現時点で生活に余裕のない人々が一番環境の変化の影響を受けやすく、また「持続可能な新しい経済」への移行に伴う影響も受けやすい。そういった人々の視点を疎かにせず、先進国から支援をする必要があるという指摘だ。

また先進国にも、脱炭素の流れの影響を直に受ける人々たちは当然いる。2018年には、フランスで「イエローベスト運動」が始まった。この運動は、政府が打ち出した燃料価格高騰と炭素税の引き上げが口火となり、苦しい生活を強いられる労働者らが生計の確保を訴えたものだ。市民の抗議の結果、当時のフランス政府は引き上げを見送ることとなった。

イエローベスト

日本における、公正な移行の現状はどうだろうか。グローバル企業の人権問題への取り組みを評価するWorld Benchmark Alliance(WBA)が2021年に発表したレポートによると、調査の対象となった日本企業16社(自動車・石油・ガス・電気関連など)は、公正な移行に関する政策決定や法規制への支持、社会的影響のマネジメントなどに取り組んでいると評価されなかった(※4)

政府・企業・市民セクターと連携して、国内の公正な移行についての政策転換を進める独立系の非営利組織「Climate Integrate(クライメート・インテグレート)」の代表・平田仁子さんは、化石エネルギーの現状についてこう話す。

「いまは、化石燃料を止めたとしても雇用の受け皿がない状況です。

一つの例ですが、長崎にある石炭火力発電所がかなり老朽化していたので、もう閉じて良いのではないか、という話になっていました。しかし、その発電所が止まったあとの地域の経済や雇用などはどうなるのか、ビジョンが明確に示されておらず、結局地元の自治体の首長が直々に『止めないでくれ』と経済産業省に頼み、結局今は発電所を止めず、新たな技術を加えることで稼働を続ける方向に進んでいます。化石燃料を使用する業界では、従業員の数や、それぞれのスキルが公表されていないことが多いので、政府としても受け皿を検討しにくい面もあります。

地域の人々も、『移行に伴う議論』を避けるようにしているところもあります。しかし世界が再エネに進むなかで、そうして化石燃料を使い続けることで国際競争力が落ち、いつか政府が火力発電所を閉じようと決意したとき、雇用のない人が路頭に迷うことになります。痛みを負うのは、個人です」

さまざまなセクターと関わり、議論をしてきた平田さん。取材では「今は、根気よく自治体や企業、政治家、市民の方々とオープンに対話し、地域で一つでも公正な移行の良い事例を作りたい。そうすることで、他の地域や企業でも真似しやすくなるから」と続けた。

兵庫県豊岡市での協力セミナー「気候変動と観光 @神鍋高原 Vol.1」の様子
兵庫県豊岡市での協力セミナー「気候変動と観光 @神鍋高原 Vol.1」の様子

世界で進む、公正な移行の事例

一方、世界ではどのように公正な移行が進んでいるのだろうか。移行がうまくいっている例は、果たしてあるのだろうか。ここでは、温暖化防止に取り組む非営利団体・気候ネットワークが2021年9月に発表した事例レポート(※5)より、ドイツ、スコットランド、オーストラリアの例を紹介する。

ドイツ

ドイツ屈指の大都市圏であるルール地方では、再エネへの転換に伴い、石炭産業を文化遺産として残すため、かつての炭鉱が鉱業博物館として保存されている。

同地域において、石炭および鉄鋼業はかつて、労働力の70%を占める100万人近くを雇用していた。しかし、20世紀後半には石炭産業が衰退し、失業率が上昇したため、労働者を他の産業へ移行させる必要があった。そこで、労働者に対する訓練と再教育・他のセクターへの移行のための支援や、自治体や地元企業が経済と環境の復興プロジェクトに使える2兆円以上の資金投入などが行われ、ルール地方は2018年までに石炭採掘からのフェーズアウトを成功させている。

ドイツの公正な移行への取り組みについては、以下の短編ドキュメンタリーで詳しく描かれている(ドイツ語音声、英語字幕)。

スコットランド

スコットランドは、石油とガス事業関連の雇用を多く抱える国だ。それでも政府は、温室効果ガスの排出を 2030年までに全体で75%削減し、2045年までにネットゼロにすると宣言した。

2014年にはすでに、石油・ガス産業の労働者が他の産業で質の高い仕事を得られるよう再訓練するための機関およびスキームである「石油・ガス移行訓練基金」を設立。3年間のプログラムを通じて4,270人の労働者が再訓練され、 89%が訓練後すぐに就職できた。その後は、次の5年間でさらにクリーン産業での仕事のために労働力を再訓練するよう、戦略を拡大している。

また、公正な移行の原則を機関や政策の全体に適用する方法について大臣に助言する政府機関もできた。これは、さまざまな立場にある人のフィードバックを公募し、化石燃料からの脱却によって影響を受ける人々や地域を支援する具体的な政策提言を行うものだ。

オーストラリア

2016年11月、同国で電力を提供するENGIE社は、 オーストラリアで最も汚染がひどく非効率な発電所であるヘーゼルウッド発電所を5か月以内に閉鎖すると発表した。

この発電所がある地域では、 過去に「住民の意見を聞かずに」起草された国の気候法によって経済的な悪影響を受けたことがあるため、多くの住民は新たな気候政策にも懐疑的であり、長年依存してきた石炭産業を支持していた。

しかし、今回は地元の市民団体の主導で、発電所閉鎖後の労働者支援のための多くのプログラムが実施された。資金提供はもちろん、教育・訓練や、個別支援のための相談窓口、地元企業に対する移行・受け入れ支援、地域の経済と生活の質を高めるためのコミュニティ企画などだ。

これらの取り組みによって、石炭部門で働いていた地元労働者たちは新しい仕事を見つけることができた。一社だけで実行するのではなく、地方政府や地元に根ざした企業、環境団体、そして当人たちの声を聞いて実行され、支持を得たからこそ実現できたといえる。

再エネ業界で働く

いま、公正な移行に必要なことは何か?

さまざまな国の事例を見ると、公正な移行に伴うアクションとして、資金提供や教育・研修プログラム、そして多様な専門家・ステークホルダーとの協力が共通項になっていることがわかる。

企業においては、どのような取り組みができるだろう。World Benchmark Allianceは、組織が公正な移行を促進するために取るべき行動を以下の6つだと定義した。所属する組織の取り組みは、こちらの原則に則っているか、照らし合わせてみると参考になるかもしれない。

  1. 労働組合や政府機関等との社会対話と、ステークホルダーへのエンゲージメント
  2. 公正な移行のための計画の策定
  3. グリーンでディーセントな仕事の創出
  4. 雇用の維持とそのためのリスキリング・アップスキリングの機会の提供
  5. 公正な移行のための社会保障と、社会的影響のマネジメント
  6. 公正な移行を促進するための政策決定や法規制への支持の表明
    出典:World Benchmark Alliance

平田さんの話の流れを汲むなら、日本においてまず大切なのは「企業や自治体が、移行に伴う議論ができる土壌づくり」だと考えられる。同氏の運営するClimate Integrateでは、脱炭素に関して環境省が発表している基本的な情報や、すでに専門家が議論を重ねて出した結論を、誰にでもわかりやすい図にして届けることにも取り組んでいる。

そうすることで、「この仕組みはなぜ?」と疑問を持つ人や、「どこから始めて良いのかわからない」企業や自治体に知識の助け船を出しているのだ。また、複数の企業と共に再エネが持つ課題を根本から議論したりすることで、移行を後押ししている。

新たな雇用先となる再エネやグリーンテックの業界も、現時点でもちろん完璧ではない。米国のウォール・ストリート・ジャーナルは、2021年に掲載した記事のなかで「米国で流通する太陽光パネルのほとんどが中国の石炭火力によって大量生産されており、そのおかげで価格も下がった。しかし製造過程で出るCO2排出を相殺するには長い時間がかかる。また、廃棄パネルのリサイクル問題も適切な対応がなければ今後さらに深刻化するだろう」と問題提起している(※6)

現在出ている「良さそうなソリューション」がメリットばかりではないことを理解し、日本国外から入ってくる情報にアンテナを張って認識をアップデートし続ける必要がありそうだ。

ソーラーパネル

編集後記:今、私たちができること

世界経済フォーラムはもちろん、パリ協定や、国連の「責任投資原則(PRI)」などでも早いうちから言及され、いま世界中で試行錯誤が行われている公正な移行。これから、政府や自治体、企業などそれぞれの立場で取り組んだ事例が増え、私たちにできることもより具体的になっていくだろう。

「社会構造の変革は、遠い将来のことではありません」とClimate Integrateの平田さんは言う。

「私たちが行動しないということが、そのまま仕事や生活に影響してくるものなのです。世界的に化石燃料の産業が衰退していくなか、ヒヤヒヤしながら今の場所にい続けるだけじゃなく、さまざまな仕組みや情報にアンテナを張り、変化の波を捉えていってほしい」

今日の社会は、実に複雑である。「環境にいい産業を積極的に支持しよう」という考えに、いま「サステナブルでない」産業で働いている人々の視点をいかに入れるか。金銭的・精神的に余裕がなく、今を乗り切ろうと必死な状態の人もいるなかで、いかに立ち止まり、包括的に考えられるだろうか。

“公正な移行”を伴わないネットゼロが、将来の選択肢になることはない。私たちはそれを肝に免じながら、これからも世界に目を向けた取り組みを応援していきたい。

※1 温室効果ガスの、排出量と同じくらいの量を吸収・除去することで実質「ゼロ」にする考え方。詳しくは「ネットゼロとは・意味」を参照
※2 World Employment and Social Outlook – Trends 2018
※3 Just in Time – Financing a just transition to net zero
※4 Assessing a just transition: measuring the decarbonisation and energy transformation that leaves no one behind
※5 気候ネットワーク – 公正な移行―脱炭素社会へ、新しい仕事と雇用を作り出す―
※6 Behind the Rise of U.S. Solar Power, a Mountain of Chinese Coal

【参照サイト】Climate Integrate
【参照サイト】With 161 Votes in Favour, 8 Abstentions, General Assembly Adopts Landmark Resolution Recognizing Clean, Healthy, Sustainable Environment as Human Right
【参照サイト】Why net zero without a ‘just transition’ is not an option
【参照サイト】Coal to Renewables Toolkit Just Transition Section
【関連記事】Just Transition(公正な移行)とは・意味

※本記事は、ハーチ株式会社が運営する「IDEAS FOR GOOD」からの転載記事です。

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